ロックンロールの神さまが逝った。

 

ちょうど20年前の3月、20代の私は彼の姿を生ではじめて見たのであった。

当時の拙いレポを公開して私の追悼にしたいと思います。

 

-LONG LIVE ROCK'N ROLL!  1997.3.16. CHUCK BERRY IN AKASAKA-

 

ルイジアナからニューオリンズへ 
 初めてチャック ベリーの曲を聴いたのがはたしていつのことなのか、僕にはサッパリ思い出せない。本人の演奏によるオリジナルヴァージョンは、ということである。それだけ様々なアーティストが、影響を受けたアーティストの名前にチャックを挙げ、彼の曲を演奏しているのである。彼の名前を初めて知ったのは、確かブルース スプリングティーンのインタヴューの中でだったと思う。当時(1985年)僕はスプリングスティーンからロックの啓示を受けてロックをかじりはじめたばかりで、まだロックンロールワールドの右も左もわからなかったのだが、その僕の師とも言えるスプリングスティーンがさらに師と崇め奉るチャック ベリーなるおじさんとはどんなもんぞや?と、その瞬間僕の脳裏に刻みこまれたのである。 
 スプリングスティーンの次にはビートルズが僕の中に居座った。ビートルズの初期のころの曲をつらつら聴いていると、いやでもチャック ベリーにぶちあたる。そして、彼がロックンロールの登録商標、本家本元的な人物だということを知るのである。はー、いわゆるロックンロールのお父さんなんですね。そして、あの"バック トゥ ザ フューチャー"でマイケル J が演奏した"ジョニー B グッド"である。これは本腰入れてチェックしなければなるまい、と思い立った。ちょうどそのころTVコマーシャルでも彼の歌が流れていた。そこでベスト盤をレンタル屋で借りてきて、研究を始めたのである。そのあたりで(満を持して)僕の前に登場したのが、あのストーンズである。ここにもチャック ベリーを崇め奉る男がいた。その名はキース リチャーズ。

 

敬愛
 キースがチャック ベリーの映画の音楽監督を勤めたのは1986年のことだ。彼の60才の誕生日を記念して、様々なゲストが彼とともに彼の歌をうたう、というライヴを中心に、彼の半生を自ら語る記録映画である。タイトルは"ヘイル ヘイル ロックンロール"。"スクール デイズ"という曲の歌詞の一節だ。直接的にはこの映画がきっかけで、僕はキースと同様チャック ベリーを師匠と慕うことになる。  あまりにも有名な話だが、この映画の中で、キースがチャックにいびられるシーンがある。"キャロル"を演奏するシーンでチャック師匠がキースに、「ギターの弾きかたが違う」と注意する、というかネチネチ文句を言うのである。両方のファンとしては見ていて非常につらい。実際キースは間違えているのだが、自分だって曲の進行が毎回メチャメチャじゃないか!とキースの肩を持ちたくなる。チャック師匠、本当はとても嫌な奴らしい。(とキースは語る)だがキース、黙って耐えるのである。が、またこういうシーンもある。チャック師匠がカメラマンに向かって演奏の邪魔になると文句を言うのだが、それに対してキースが口をはさむ。
「あんたの映画なんだぞ、あんたが死ぬまで残るんだぞ」(ちょっとはカメラマンに気を使ったらんかい)。

チャック師匠それに答えて曰く

 

「俺様が死ぬか!」

 

 さすが師匠。
 そこまでサラっとそんなセリフが吐けるミュージシャンがいるだろうか。 
 こんなふうにこの映画にはいたるところにチャック ベリー本人への、またはロックンロールそのものへの(屈折した)愛情が生々しく感じられるのである。そしてライヴのフィナーレのシーン、チャック師匠がキースを改めて紹介するシーンで、キースは満面に笑みをたたえ、客に向かって一言、

 

"BYE BYE, BABY"!

 

 いままでの苦労が報われた瞬間。
このシーンは何度見ても涙が止まらない。

 

10年後  
 "ヘイル ヘイル ロックンロール"が公開されて10年が経った。そしてすでに70才を超えているロックの登録商標が来日するという。昨年の冬にこの話を耳にしたとき、にわかには信じられなかった。どうせキャンセルになるさ、という思いもあったが、そもそもまだ生きて現役でロックをプレイしているという事自体が信じられなかったのだ。そんなわけで、僕はギリギリまでチケットを買わなかった。それでもとうとう前日にチケットを買い、赤坂ブリッツに足を運んだ。

 オープニングアクトのクールスのステージを眺めていてもまだ今ひとつ実感が湧かなかった。ホントに今この瞬間、生きて、日本の、東京の、赤坂の、ブリッツの楽屋にいるのかよ?とかなんとか思いが錯綜しているうちにクールスのステージが終わった。とりあえず良い位置を確保、とアリーナをおしあいへしあい。
 

 位置が決まってボーっとしているうちにフラフラーっと神様が現われた。 
 

 やはりトシだと思ったのは彼の頭を見たからだった。もうリーゼントにはできまい。縮れた髪の毛の生え際は後退し、くろぐろと光っていた。そしてパイナップル柄のアロハシャツと、これだけは譲れないギブソン335。笑顔と白い歯。1曲目、何の前ぶれもなくは彼の「いつもの」ギターリフでなんとインストを演奏。ついに歌えなくなっちまったか!とハラハラする矢先に、"スクールデイズ"。さすがにガツンと来た。節回しは多少変わっているが、声は少なくとも10年前に引けはとらない。しかし、ギターの音がやけに小さい。本人がギターの方のヴォリュームをかなり絞っているためかあまり迫力がないのである。

やはり長年のロード生活で耳をやられたかと思っていると、2曲、3曲と進むうちに師匠、やたらとヴォリュームやトーンをいじって音にこだわっている。時には演奏そっちのけで音作りに没頭している場面もあった。師匠、70になっても耳は達者らしいとわかってホっとしました。


 ロックンロール、ブルースを織り混ぜて快調にステージはすすむ。多分日によって曲の進行はまちまちなのであろう、コードチェンジをバックのメンバーがあわててついていくという曲も多かった。

 

 

"I'M AN ENTERTAINER" 

 今回、師匠はあくまで気さくだった。笑顔を絶やさず、MCでも笑いを誘い、ステージは終始和やかな雰囲気に包まれていた。ギターには往年のキレはなかったが、それでも客は喜んでいた。しかし、"キャロル"から"リトルクイーニー"をメドレーにするという、だれでも思いつきそうなアレンジを実際にやったとき、師匠自らしつこくキースに注意したあのフレーズは姿を消していたのであった。(あったのかもしれないが、ブレイクのタイミングがうまく取れなかったのだろうか?)師匠、キースは草葉の影で泣いてますよ。

 しかし、曲の終わりの決めセリフ"MEANWHILE, I'M STILL THINKIN'"はなぜか鳥肌が立つほどカッコ良かった。ガッカリしている矢先に感動のストレートパンチ、こんなふうに、心配と喜びと落胆と感動が複雑にからみあいながら、尚もステージは続く。僕のエモーションは擦り切れそうだ。"ロール オーヴァー ベートーベン" "トゥ マッチ モンキー ビジネス" "ロックンロール ミュージック" "メンフィス テネシー"... 飽きない。たかがスリーコードと言うが、3つか4つのコードでこれほど多彩な世界を描けるものなのだろうか。もちろんそれだけではない。後半になっても師匠は汗をふきつつ動く動く。ときにはピアノを弾いたり、ステージの端でコール&レスポンスをきめるなど、エネルギッシュに動き回る。だが、伝家の宝刀ダックウォークは最後まで見せない。そしてついにステージ終盤、口をすぼめながらのダックウォークがようやく出たときの客の歓声といったら!
 師匠のこの戦略を見たとき、この人はまさに芸人だ、と思った。新しいものなど必要ない、ただひたすら自己の芸に磨きをかけてゆくひたむきさが今回の来日公演の真髄なのだ。(新しいものなんかもうトシだし作れない、という話もあるが)そこには自分がいて自分の芸がある。そして、その芸におしみない拍手をする客がいる。エンターテイナーとしての潔さを僕はまざまざと見せつけられた気がする。

 

GO JOHNNY GO! 
 そしてジョニー B グッドが始まった。ラストナンバーはこれしかない。誰もが思うだろう。彼はこの曲と共に天国に召されると。彼の墓石にはこう刻まれる。

"HE ALWAYS PLAYS GUITAR JUST LIKE RINGIN' A BELL" GO ! GO ! GO ! CHUCK GO ! GO !